前回の記事『高畑容疑者関連の報道、マスコミのセカンドレイプ助長がひどすぎる』は、俳優の高畑裕太容疑者強姦事件に関するマスコミの報道が非常に問題だという話を取り上げて、大きな反響を頂きました。

 ですが、その記事を書いて以降も、残念ながら様々な偏見や差別、セカンドレイプに繋がるようなコメントが散見されます。母親バッシングや、共演者へのセクハラ、事件をネタにするような発言等、様々な方向に問題が拡散してしまっています。

 また、「性欲」と「性暴力欲」の違いに関しても、いまだに混同しているケースが多いように思いました。前回も言及しましたが、「嫌がっていたら萎える」のが性欲であり、「嫌がっているのにしたい」のは性暴力欲です。この2つを混同すると、「性欲は本能→本能だから襲いたくなるのは仕方ない」と解釈して、性暴力を容赦することに繋がってしまいます。

 今回は、これに関して言葉だけでは分かりにくい部分もあるかと思うので、スライドを作成しました。ご覧ください。

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 違いを分かって頂けたでしょうか? 性暴力欲とは、征服欲(≒支配欲)・嗜虐欲・逸脱行動欲等の合成物であり、性欲とは完全に別のものです。ただ、時として性欲的な要素が混じる場合もあります。

 欲求が「controllable」か「uncontrollable」かという話はあくまで性暴力欲が既に備わっている段階の話であり、潜在加害者に留まれるか実際の加害行動に及ぶかに分かれるフェーズです。そう考えると、「抑制できるか抑制できなかったか」を論点に話している人というのは、もしかしたら既に潜在加害者に近い属性にあるという推測も成り立つのかもしれません。

 なお、ここで「性欲が混じる場合がある」という表記したのは、たとえば痴漢の半数以上が犯行時に勃起していないと回答する加害者調査もあるように、性暴力に性欲的な要素が無い場合も多いためです。このようなケースは、「性」がそれ自体「目的」になっているのではなく、あくまで他の欲求を満たすための「手段」として用いられると考えられます。

 また、日本の性犯罪は親告罪であることからも、「泣き寝入り」を強いられてしまっている人が本当に多いために、「性暴力加害者=性犯罪者」ではありません。細かいところかもしれませんが、メディアでコメントする際には気を付けるポイントでしょう。



 ■「性」のことを何も学んでいないAV監督

 AV業界の大御所であるとされる某AV監督が、今回の事件に関連して以下のようなことをTwitterで書いていました。

 『高畑裕太容疑者の戦慄の欲望。でも男性の性欲を忌まわしいもの、と思わないでください。男の優しさ、は性欲があればこそ、です。性欲がなければ、あなたへの男の優しさ、はありあせん。優しさと性欲はコインの裏表です。いたずらに性欲を不快に思わないでください。ハサミと性欲は使いようでございます』(原文のまま)

 高畑容疑者の欲望を「男性の性欲」と表現していることからも、「性欲」と「性暴力欲」の区別がついていないと考えられる発言です。私たちは性欲を忌まわしいものとは考えていません、性暴力欲を忌まわしいものと考えているのです。性欲を不快に思っているのではありません、性暴力欲を不快に思っているのです。

 このようにAV業界のレジェンド的な存在が、「性欲」と「性暴力欲」の違いすらも分かっていないとは、「プロなのにこれまでいったい“性”の何と向き合ってきたんだ!?」と思います。

 なお、この某AVの発言に関しては、「男の優しさ、は性欲があればこそ。性欲がなければ、あなたへの男の優しさ、はありあせん」と表現していることもかなり問題です。それはつまり優しさと性欲をトレードしていることであり、「性欲を抱かなければ優しくしなくていい」と捉えられる発想です。完全に女性蔑視・女性差別ですし、男性をも侮辱する発想と言えるでしょう。



■「性欲=性暴力欲」の偏見を生んだ日本のAV

 ただし、この某AVの発言を「予想通り」と感じた人も多いと思います。というのも、実際に日本のAVはレイプ描写が本当に多過ぎるからです。誤解しないで頂きたいのですが、「レイプ」という性暴力は本来、「明確な合意の積極的意志表示」がある場合を除く全ての性行為を指すものです(※現行の日本の判例ではレイプであることを証明するには「明確な拒否の積極的意志表示」が必要としており時代遅れであると言える)。

 あからさまにレイプものをうたっていない作品でも、海外では禁止されているような「イヤ」「ヤダ」「やめて」という女性のセリフも当たり前のように存在していますkら、まさに日本のAVは性暴力表現に溢れていると言えるでしょう。

 正しい性教育を受けて健全な性欲を育むのではなく、このような「性欲=性暴力欲」という考えの人たちが作る性暴力的なAVで日本男児は“性教育”を受けてきたわけですから、性暴力欲の芽を大きく育てた男性が日本に多いのも不思議ではありません。

 2000年以降に起こった「性教育バッシング」の際に、当時の小泉純一郎首相が「(性に関する知識は)自然とわかってくるもんなんだよ」と発言しましたが、AVを見て学習していれば自然と性欲=性暴力欲と認識してしまうのも当然ではないでしょうか?



■弁明が必要なのは犯罪者に近いから

 今回はとあるAV監督の発言に対して反論を加える形で書いてきましたが、彼に限らず「男はみんな性犯罪者じゃない!」と弁明に走る人は、みなさんの周りでも時々見かけると思います。

 ですが、そんなことは多くの人は分かっていますし、仮に女性が「男は~」と一緒くたにするような表現で批判したとしても、彼女たちにも仲の良い男性の友人がいることだって多々あります。結局、彼等がわざわざ口に出して「犯罪者とは違う」と必死に弁明しなければならないということは、犯罪者に近い属性ということの裏返しではないでしょうか?

 おそらく、そういう人は自分自身にも強い性暴力欲求があるのだと思います。「(自分は性暴力欲求の発露を)我慢しているんだから責めないでよ!(一人だけ抜け駆けしたズルい)アイツと一緒にしないでよ!」ということなのでしょう。



■「デリヘル呼べ」はセックスワーカーへの暴言

 また、高畑容疑者の逮捕に対して「風俗行けよ」「デリヘル呼べよ」という投稿が散見されますが、これも「性欲」と「性暴力欲」の区別がついていない発言ですし、セックスワーカーに対する暴言だと思います。

 以前、『沖縄女性遺棄事件、「予防としての風俗活用案」は最悪の愚策です』という記事でもご紹介したように、性風俗産業は「性欲」を満たすことを目的とした場所であって、「性暴力欲」を満たすことを目的とした場所ではありません。性暴力加害者のケアはそれを専門とした機関に委ねるべきであり、性風俗産業従事者に押し付けるべきではありません。

 なお、「風俗が無くなったら性犯罪が増えるのでは?」という人がたまにいますが、性欲と性暴力欲が異なるという前提に立てば、そのロジックは間違いであることが分かるでしょう。仮に性風俗産業が無くなったら、単に「風俗に通っていた人が悶々とするだけ」です。実際に性風俗産業と興隆と性犯罪発生率は必ずしも比例しないという調査も出ています。



■性暴力を許さない社会に

 性暴力は被害者に対する暴力であると同時に、社会に対する暴力です。性暴力は被害者の人権を踏みにじる行為であると同時に、社会に確立された人権という概念そのものを踏みにじる行為です。性暴力は社会の敵、人類の敵、文明の敵であり、いかなる場合においても絶対に許してはいけません。

 「相手が嫌がったら萎えるのが性欲です」 「相手が嫌がってもしたいのは性暴力欲です」是非これをしつこく説いて行きましょう。広めて行きましょう。男性も「自分は違う!」という自己保身ではなく、性暴力という社会悪を無くすために戦う一人の人間として。


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